2008/10/24

感性の再確認

カメラ購入から1週間。技術的な事は深く考えずに散歩がてらにパシパシ撮ってみたり、
全ての写真集を立ち読み出来る青山ブックセンターで著名な写真家の作品を眺めたり、
それだけでも革新的な意識の変容を感じつつあります。

今までは「メモ帳」「覚え書き」としての写真しか撮っていなかったのに対し、
今は「何かしら感じ取ったもの」を「観ただけで感じられるように」撮りたいと欲が出てきました。

ま、まぁキモチだけですけどww


例えばコンビニに並んでいる雑誌の表紙を飾る女の子。
「この雑誌は誰を撮ってもブスに見えるな。」なんて思ったり、
逆に好みでもない女優が急に魅力的に思えたり、
きっとこれがプロ写真家の魔法なんでしょうね。

魔法と言えばボクだって魔法使いの端くれ。
時間軸と空間軸を読んで曲の魅力を引き出すDJであり、
些細な日常を徹底的にディフォルメさせて読む人の失笑を誘う日記を書いています。
今にして思えばDJプレイと文章表現にある種の共通点を見い出し、
DJプレイにおけるストーリー展開や構成力といったものを小説やエッセイから学び、
DJのようにオーディエンスの感情を煽る日記を書いていたわけです。


そしてこの1週間で得た仮説。
「もしかして写真ってのも似たようなモンなんじゃないのか?」

写真家というのは、
自身が感銘を受けた視覚を切り取り、
2枚以上の写真を並べる事で時間軸を生み出し、
感銘と感銘を繋いで物語りを創っているんじゃないだろうか?

写真を撮ったり観たりするのが好きな人には当たり前な事だとしても、
ボクにとっては新しい共通項であり、新しい可能性であります。
この歳にしてアンテナが一本増えたって事ですからね。



「感受性は幾つからでも磨けるし、歳を重ねるごとに深みを増していく」
というのがボクの持論。


漫画と雑誌しか観なかったのに25.6から活字中毒になり、
22.3の頃まで音楽に全く興味が無かったのに27からDJを始め、
30超えて「デザイン」に目覚めた奴が言うんですから、
妙な説得力に満ち溢れているハズです。


手塚治虫の「どろろ」という漫画がありまして、
主人公「百鬼丸」が妖怪に分断され奪われた自分の身体を取り戻していくうちに、
人間として成長していくという話。

そんな風に、
本来あるべきだった感覚を再確認しながら生きていくのも、
なかなかオツな生き方のように思えてきました。













感性の前に本棚がパンクしてるってのが最大の悩みですが。